連日の猛暑が続いていますが、負けずに(そこそこ)走っています。
昨日は帰宅ランをしましたが、夕方6時の段階で気温28℃。すぐに汗だくだくになります。
昨日の帰宅ランルートは飯田橋 → 清洲橋 → 葛西橋 → 金町です。
テーマは「清洲橋」と「葛西橋」の相似性とその構造の比較確認ですw
以前から清洲橋と葛西橋は橋の形が非常に良く似ていると思っていました。しかし、清洲橋は「震災復興の華」とまで呼ばれその優美な曲線が絶賛されているのにもかかわらず、一方の葛西橋は橋として評価されることはほとんどなく、実際に見てみましても武骨で大づくりな印象を拭えません。細部も手の込んだところはなく、正直、私はあまり好きな橋ではありません。
清洲橋(隅田川)↓
葛西橋(荒川)↓
しかし、先日、図書館で見つけた本を読みますと、この葛西橋について意外な記述がありました。
「橋を透(とお)して見た風景」 紅林章央著 ㈱都政新報社発行
葛西橋は、非常に特異な構造をしている。(中略)橋脚から左右に張り出された橋桁を、主塔から張り渡した吊り材で吊って補剛し、中央部分に橋桁を設置したもので、「ゲルバー式吊り補剛桁橋」という構造である。世界初の構造で、当時東京で最長の支間長を誇るものであった。現在も世界に同じ構造の橋はない。
清洲橋は自碇式吊り橋という「吊り橋」形式ですが、葛西橋は桁を補剛している「桁橋」なのですね。構造形式がまるで違います。
驚くべきは、この橋は世界で初めてという技術を使った先鋭的な橋であったという事。
そういう歴史を知らずして、たいしたことない橋と顧みなかった自分の見る目の無さが、すこし恥ずかしいです・・・。私も橋好きとしてまだまだです。
隅田川に架かる橋梁群は一つ一つが有名で、歴史的価値もあり、そのうちのいくつかは文化遺産に登録されていますが、荒川に架かる橋というのは(ほとんどが地味な外観というのもあり)あまり評価されていない傾向があるなと感じます。もともと荒川は昭和5年に放水路として完成した歴史の浅い川です。戦前は鉄橋は1つだけでほとんどが木造の橋しかなく、戦後もGHQの監視があったため自由な橋が架けられませんでした。けれどそんななかで、当時の技術者が一生懸命考えたであろう橋の設計を知るのは面白い事です。
しかし、最近建設される橋は、経済性を偏重するあまり、ほとんどが同じような桁橋となり、構造的にも景観的にも画一的になってしまいました。
この筆者は最後に
橋には、アーチ橋、トラス橋、吊り橋など様々な構造がある。その造形の多様性が、橋の建築物としての魅力である。(中略)インフラ整備は未来を作り出すために不可欠の投資である。私たちが享受したように、子や孫にも素晴らしい橋を残していこうではないか。
と述べています。
清洲橋は橋ができてから90年経ちましたがまだまだ現役で、さらに100年の延命を図るために現在長寿命化工事が行われています。
当時の震災復興局が将来、車の通行量が増えることを見越して耐荷重を大きくしたり、腐食が少なくなるように御影石を橋脚や橋台に貼り付けたり、といった設計が90年たった現在、活かされているのです。当時の設計者が目先の経済性よりも、安全性や耐久性を一番に重視した心意気が伝わってくるようです。
この本はほかにも読みどころがたくさんありますので、おすすめです。